ietyan

頑張ります。

大名2.0を目指すための読書録(1)〜現代版寺社の可能性を探る〜

大名2.0を目指す理論武装のための読書録、一回目です。

 

大名2.0に関しては、まだかなりぼやっとした考えであり、言語化をしていきたいと思います。ポスト資本主義の勝ち組みが大名2.0であると思っています。今年の目標は大名2.0を言語化することです。

『寺社勢力の中世』という本で気になったことをメモ書きします。

 

 

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

 

 

 

日本というか先進国が福祉を保証できる地域は東京など一部の都市に限られ、その周辺に意図的に、自由競争的で政府の支配が及ばない地域が生まれると思います。もちろん政府の社会保障政策も適用されません。そんな中世にこれから戻るでしょう。

 

最初にあるのは全体社会であり、国家が現れるのはその後だ。国家は、領域内の人々の全生活を管理できるわけではなく、またすべきでもない。国家とは軍事・警察・裁判権を核として、政治・行政をつかさどる機関に過ぎず、国民生活全般をコントローするものではない。一方、人々の生活が営まれる場、及びその営みのすべてを指して、「全体社会」と呼ぶのが普通である。全体社会は法や慣習が予測していない現象に満ちており、国家の尺度では測ることはできない。その価値観を当てはめることもできない。常に「国家と全体社会は別物」ということを忘れてはいけない。(略)

中世とは、全体社会の中において国家が占める割合が、最も小さい時代であった。

13-14頁。

 

「自由即死」。でもこれは中世の話。インターネットが普及した現代版中世では全く同じようなことが起こるとは考えにくい。現金を所有してなくもネットでの決済また、それを通り越してTwitterでのフォローワー数などの影響力など中世では実現気なかった「取引」が可能になる。つまり現代版中世への可能性がある。

 

災害・貧困・失敗、何らかの意味で縁の世界で行き詰まった人々が移民となるのだ。

母国」の保護もなく束縛もない「駈込人」たちは、どのように自らを再生しようとしたのだろうか。共同体を飛び出して自由に行動する、とか限りにない自由の場で飛躍するといえば聞こえはよい。だが中世では、・・・・・・いやいつの時代だろうと、ただ単に束縛を離れて自由になるということは、ただちに餓死の危機に直面する上に、攻撃されても誰も守ってくれないのだ。「自由即死」、自由はすなわち死を意味する場合がほとんどだ。

30頁。

 

さっきと一緒。都市の周辺地域はこんな感じの世界になる。国民国家という枠組みは維持されるが、国民国家の中で貴族と非貴族ぐらいになっていく。貴族は国家と契約して奉仕もする(納税)。非貴族は納税の義務がないが、保証も何もない。

 

中世国家がこの私的取り立てを妨げるととは決してない。洋の東西を問わず、中世は自力救済の時代と言われる。耳慣れない「自力救済」の内容がこれである。政治権力は政府の安全を脅かす暴力を取り締まるだけで、それ以外の治安問題には「関知しない」のだ。

37頁。

 

現代版無縁所の名前を決めたいですが、その前に無縁所について改めて考えてみる。まとめると、都市としての機能性・納税・主体国家(主権国家の中でも主力となる国)との関わりの3点になる。

 

無縁所が成立した条件としては、以下があるだろう。

182頁。

 

以下は大事な要素なので、丸暗記。試験に出る。「国」ではなく都市の成立要素も押さえておく必要がありそう。

 

①都市の未開地性:都市は「資源に満ちた未開地」と定義できる。都市にあると期待される資源としては、次のA〜Eが代表的である。目には見えるが、獲得できるとは限らない。

A 知的資源

都市的スキルの存在とその獲得可能性

B 物的資源

これについては言うまでもないが、雇用機会や食料などの獲得可能性が存在することが挙げられる。世界の飢饉はほとんど例外なく、食料が豊富なはずの農村部で起こっており、第一次世界産業’が少ない都市部における大量餓死は極めて珍しい。(藤田弘夫『都市の論理』中公新書)商品流通システムが成立した後には、都市のほうが、凶作に直撃された農業地域よりも、優先して食料供給を受け取るのだ。だから第一次産業の製品を含め、都市にはありとあらゆる資源があると言える。

C 関係的資源:新しい人脈ができる可能性。無縁世界の人脈は、有縁世界の人脈は、有縁世界のそれと異なり、最初から与えられ押し付けられるものではなく、自分で選択と排除が可能なそれと期待される。

D 匿名性

緊密な縁を結ばない約束。互に必要最小限のプライバシーしか知らしめないし、他人のそれにも関心を持たない。都市的な匿名性なくしては、無縁所は決して居心地のいい場所ではない。様々な地域からの移民が集まる辺境も、匿名性についていえば都市と共通数する。逆説的ではあるが、「都市は未開地の一類型」といえるのだ。都市という未開地、無縁所の場における人々の寂寥は、多くの文学の題材になっている。

E 開放された地

流入者の立ち入りと居住の自由。ただし受け入れられるのは個人と小家族であり、義詮のような有縁の原理で結合された集団は原則として受けいれない。

182-182頁。

 

課税も重要なポイント。「国」がすべき生存権の保障を行うために、課税は絶対条件。しかし課税以外の「国民」との社会契約もあるはず。それが兵役か?

 

②国家権力にとっての未開地:都市・辺境の両方について当てはまる。

A 諸役不入

商工業(当時のニュービジネス)を課税対象とみなさない認識の遅れ、税の治外法権、徴税根拠法の未整備などの要素。無縁所は税の未開拓地域であった。

B 検断不入

無縁所には外部の警察権が入らない。

C 民事不介入原則と自力救済世界

中世社会にはあらゆる面において自力救済の色彩が濃厚で、検断権の「未開領域」が多い。「獄前」でもである。

こういう無縁世界は、別に中世に限って現れるものではない。全体社会が拡大しているにも関わらず、国家の機能が従前の状態に止まりキャッチアップが遅れている時、そういう状態はいつでも発生しうる。ネット・コミュニケーションやネットビジネスの世界では、現在、課税や犯罪法取締法令が未整備であることから、この状況にあると言えるだろう。

 

今でいう主権国家とどう関わるか。独立していたのではく、共存していた考えるほうがいい。

 

③パワーバランス

信長・梅雪が認めた市場の平和の背景にはこれがある。中世には一元的な統一権力はないからからいつも「敵」がいた。だから熱田社のように完全に自立していない寺社でも、パワーバランスのおかげで、限定的な無縁性を持ちえたのだ。南都北嶺を「絶対無縁所」とするならば、熱田社は「相対的無縁所」だ。

勢力基盤の強弱により、各寺社の無縁性には温度差がある。無縁所を支える力としては、経済力・軍事力・宗教的権威・・・・・・がある。無縁所には移民が作った括弧つきの「国」なのだ。「力」は不可欠の要素であった。領域内で国家検断の代行を行うことにより、国家権力に一定程度譲歩していた。このことも無縁所が存続した理由の一つである。

183-184頁。

 

上の通り、主体国家(主権国家の中での主体となる国)との関係は先ほど述べた通り、主体国家の邪魔をしなければ存在自体は黙認される。

 

④無縁所観

一章の玄彗の項で述べた通り、権力側にも無縁所を消極的に容認する観念があった。

 

次回以降で、寺社の特徴や社会的役割などその可能性を探ります。